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第066章 ROICとは?

ROICは、よく設計された指標である。事業単位に分解でき、財務レバレッジに揺さぶられず、資本コストと直接比べられる。財務指標として、これほど筋の通ったものは多くない。しかし、よく設計された指標ほど、その枠の外にあるものを見えなくする。本章は、まずROICを正確に定義する。次にWACCとの関係を確定させ、ROICツリーで現場へ落とす道筋を示す。そのうえで、この指標が構造的に捉えられないものを述べ、ROICを使いながら未来価値を守る方法を提示する。

1 なぜ、いまこの問いが立つのか

ROICは古い指標である。投下した資本がどれだけ稼いだかを見る発想は、投資の判断そのものと同じくらい古い。それが近年、経営の中心語になった。中期経営計画の目標欄に載り、事業部長の評価指標になり、取締役会の資料に並ぶ。

理由は三つある。

第一に、資本コストという概念が経営に定着したことである。預かった資本には対価がある。その対価を上回って稼げているか。この問いに答えるには、利益率ではなく資本利益率が要る。会計利益だけでは価値創造を語れない理由は、第VII巻 064で述べたとおりである。

第二に、ROEの限界が広く認識されたことである。ROEは全社の数字であり、事業部には落ちない。しかも財務レバレッジを高めれば機械的に上昇する。事業の実力と資本政策が、一つの数字のなかで混ざってしまう。第三に、事業ポートフォリオの組み替えが常態になったことである。どの事業に資本を残し、どの事業から引くか。この判断には、事業ごとに比較可能な物差しが要る。ROICは、その要請にほぼ完璧に応える。こうしてROICは、経営目標の座に就いた。

しかし、ここで一つの事実に目を向けたい。ROICの分母は、会計が記録した投下資本である。そして企業の価値を生む資源は、いま急速に会計の外へ移動している。研究、人材、ブランド、データ、信頼。これらの多くは費用として処理され、投下資本には数えられない。

つまり私たちは、指標が経営目標へ格上げされる局面と、その分母が事業の実態から離れていく局面を、同時に迎えている。第VII巻 065で論じたPBRと、構造はまったく同じである。

だから問いは二重になる。ROICとは何か。そして、ROICは何を測れていないのか。

2 通説とその限界

ROICをめぐって、三つの理解が広く流通している。いずれも部分的には正しい。しかし、いずれも重要な点を落としている。

通説1「ROICは高いほどよい」

最も素朴で、最も広く共有された理解である。資本効率が高いことは、それ自体が善である。この前提は、ほとんど検証されないまま使われる。第一の穴は、ROICが比率だということにある。比率は、分子を上げても分母を下げても改善する。そして分母を下げるほうが速い。在庫を削り、設備投資を見送り、事業を売れば、ROICは上がる。上がった比率は、事業が強くなったことを意味しない。

第二の穴は、比率が価値創造の総量を語らないことである。価値創造の大きさは、比率ではなく金額で決まる。資本コストを上回る幅に、投下した資本の額を掛けたものが、その事業が生んだ経済的な価値である。したがって、高い比率で小さく回る事業より、やや低い比率で大きく回る事業のほうが、価値を多く生むことがある。ROICだけを見る経営は、この判断を誤る。成長を伴わない資本効率の追求は、緩やかな縮小と区別がつかない。

通説2「ROICはROEより優れた指標である」

第二の理解は、指標間の優劣を論じるものである。ROEはレバレッジで動くから信用できない。ROICは事業の実力を映すから信用できる。この対比は、実務でよく語られる。

ROICの利点そのものは事実である。しかし、優劣ではなく守備範囲の違いとして理解すべきである。

ROEは株主に帰属する成果を、株主が出した資本で割った数である。株主の視点に立つ以上、レバレッジの効果が入るのは誤りではない。むしろ当然である。ROICは債権者と株主の双方に帰属する成果を、双方が出した資本で割った数である。資金の出し手を区別しないから、事業そのものを見られる。

見ている対象が違う。どちらか一方で他方を置き換えることはできない。優劣を論じた瞬間に、私たちは片方の視点を失う。

通説3「ROICを全社へ展開すれば、資本効率は上がる」

第三の理解は、実務的で、そして最も危うい。全部門にROIC目標を配り、行動へ落とす。たしかに数字は動く。動くという事実は正しい。問題は、動く方向に偏りがあることである。現場が確実に動かせるのは分母だからである。売上債権の回収を早める。在庫日数を縮める。遊休設備を処分する。更新投資を先送りする。いずれも短期に、確実に、自部門の裁量で実行できる。

分子を上げる行動は違う。新しい顧客層を開く。価格決定力を築く。新技術を試す。時間がかかり、成否が読めず、今期の費用を伴う。

期限の付いた目標が配られたとき、現場は前者を選ぶ。責められるべき選択ではない。合理的な行動である。

三つに共通する限界三つの通説は、いずれもROICを「事業の実力を映す鏡」として扱っている。ここが誤りの根である。

ROICは鏡ではない。会計が測った一年の成果を、会計が記録した資本の簿価で割った比である。分子も分母も、会計という制度が構成した数字である。

制度が構成した数字は、制度が対象としていない領域を映さない。映らないものは、指標のうえでは存在しないものとして扱われる。この一点が、ROICの限界のすべての出発点になる。

3 再定義 — ROICとは、把握できた資本の収益率である

3.1 定義を正確に置く

ROIC(Return On Invested Capital、投下資本利益率)は、次のように定義される。

ROIC = NOPAT ÷ 投下資本NOPAT(Net Operating Profit After Tax、税引後営業利益)は、次のように算出する。

NOPAT = 営業利益 ×(1 − 実効税率)

なぜ営業利益なのか。営業利益は、支払利息を差し引く前の成果だからである。支払利息は債権者への分配であり、事業が生んだ成果そのものではない。分配前の成果を用いるからこそ、資本構成の違う事業を並べて比べられる。

なぜ税引後なのか。税は、事業を営む以上、避けられない現実の流出だからである。また、後述するWACCが税引後の資本コストとして定義されるため、分子も税引後に揃える必要がある。揃えなければ、比較は成立しない。

実効税率には、実績の税負担率ではなく、標準的な税率を用いるのが実務上は望ましい。実績税率には支払利息の損金算入の効果が入り込む。それを入れると、レバレッジに左右されないというROICの長所が、わずかに損なわれる。

3.2 投下資本には、二つの数え方がある

分母の投下資本には、二つの算出アプローチがある。どちらを採るかで、議論の姿が変わる。

第一は、調達側から数える方法である。

投下資本 = 有利子負債 + 自己資本事業に投じられた資金を、誰が出したかで捉える。貸借対照表の右側から見る発想である。全社の資本効率を論じるときに使いやすい。

第二は、運用側から数える方法である。

投下資本 = 運転資本 + 固定資産運転資本は、売上債権と棚卸資産の合計から仕入債務を差し引いた額である。事業に投じられた資金が、いまどの形で存在しているかで捉える。貸借対照表の左側から見る発想である。

この二つは、理論上は一致する。同じ資金を、出所から見るか、使い道から見るかの違いにすぎないからである。

しかし実務では一致しないことが多い。理由は、事業に使われていない資産があるからである。余剰現金、政策保有株式、遊休不動産。これらは調達側の合計には含まれるが、事業の運用資産ではない。したがって運用側から数えるときは除外する。除外の範囲が、二つの数字の差を生む。もう一つ、時点の問題がある。分子のNOPATは一年間の成果であり、分母の投下資本はある一時点の残高である。期首を使うか、期末を使うか、平均を使うか。どれを採っても間違いではないが、社内で揃えなければ比較にならない。

そして、事業別のROICを算出するには、全社の資産と負債を事業へ配賦する必要がある。本社機能、共用設備、全社借入。配賦の基準は経営の判断である。判断が入る以上、事業別ROICは客観的な数字ではない。設計された数字である。

3.3 ROICとWACC — 価値創造の境界線

ROICは、単独では意味を持たない。比べる相手があって初めて意味を持つ。その相手がWACCである。

WACC(Weighted Average Cost of Capital、加重平均資本コスト)を定義する。企業が資金の出し手へ支払うべき対価の、加重平均である。WACC = 負債コスト ×(1 − 実効税率)× 負債比率 + 株主資本コスト × 自己資本比率負債コストに(1 − 実効税率)を掛けるのは、支払利息が損金に算入されるためである。株主資本コストは、株主が同程度の危険を負う他の投資から期待する収益率であり、契約で決まる数字ではない。推定するほかない。

そして、次の関係が価値創造の境界線になる。

ROICがWACCを上回るとき、企業は価値を創造している。下回るとき、企業は価値を毀損している。

理由は明快である。資本には使用料がある。その使用料を超えて稼げているなら、資本を預かり続ける理由がある。超えられないなら、その資本は別の場所で使われたほうが、社会全体として効率的である。

この差を、私たちはスプレッドと呼ぶ。

スプレッド = ROIC − WACCスプレッドに投下資本を掛けると、価値創造の金額が出る。これが経済的付加価値(EVA)の考え方である。

経済的付加価値 =(ROIC − WACC)× 投下資本この金額表示は重要である。比率だけを見ていると、事業を小さくすることと、資本効率を高めることの区別がつかなくなる。金額で見れば、両者は明確に分かれる。

なお、この考え方は、第VII巻 065で扱った残余利益モデルと同じ構造を持つ。資本の使用料を差し引いたあとに何が残るか。視点を株主に置けば残余利益になり、事業に置けば経済的付加価値になる。

ここで、精度のうえで一つ注意すべき点がある。ROICの分母は会計上の簿価であり、WACCの株主資本コストは市場の期待から推定される。過去の記録と、いまの市場の見方。性質の異なる二つを引き算している。この非対称は、スプレッドの数値そのものを不安定にする。差が小さいときに、その符号を断定してはならない。

3.4 中心命題

以上を踏まえて、本章の中心命題を置く。

ROICとは、会計が把握できた資本が、会計が把握できた成果をどれだけ生んだかの比率である。把握されなかった資本と、まだ成果になっていない投資は、分子にも分母にも現れない。

この命題は、ROICを否定していない。ROICが何についての指標であるかを、正確に限定しているだけである。

限定を外して使うとき、私たちは指標を誤用する。ROICの誤用は、ほぼすべてこの限定の忘却から始まる。

4 構造 — ROICツリーと、現場への落とし方

4.1 二つの要素への分解

ROICは、二つの指標の積に分解できる。分子と分母の双方に売上高を挿入すればよい。

ROIC =(NOPAT ÷ 売上高)×(売上高 ÷ 投下資本)前者を利益率、後者を回転率と呼ぶ。売上高が約分されるため、これは恒等式である。新しい情報が加わったわけではない。同じ数を別の角度から書き直しただけである。

しかし、この書き直しには実務的な力がある。事業の性格が見えるからである。

高い利益率と低い回転率で成り立つ事業がある。低い利益率と高い回転率で成り立つ事業がある。同じROICでも、稼ぎ方はまったく違う。違えば、打つべき手も違う。

4.2 ツリーを下へ伸ばす

二つの要素は、さらに分解できる。この分解の連なりをROICツリーと呼ぶ。

利益率は、売上総利益率と販管費率に分かれる。売上総利益率は、価格と原価に分かれる。販管費率は、人件費、物流費、広告費などに分かれる。

回転率は、運転資本回転率と固定資産回転率に分かれる。運転資本回転率は、売上債権回転日数、棚卸資産回転日数、仕入債務回転日数に分かれる。固定資産回転率は、設備の稼働率と保有量に分かれる。

ツリーの末端まで下ろすと、それぞれの枝に担当部門が対応する。営業は価格と回収日数を持つ。製造は原価と在庫日数を持つ。物流は在庫の配置を持つ。生産技術は設備の稼働率を持つ。

ここにROICの実務的な強さがある。全社の資本効率という抽象的な目標が、部門ごとの具体的な行動へ翻訳される。翻訳の経路が、恒等式によって保証されている。

4.3 ROICが優れている二つの理由

ROICの利点を、あらためて整理する。

第一に、事業単位で管理できる。ROEの分母である自己資本は、企業全体にしか存在しない。事業部に自己資本はない。しかし投下資本は事業部に配賦できる。だから事業ごとの資本効率を比べ、資本の再配分を議論できる。

第二に、財務レバレッジに左右されない。分子のNOPATは支払利息を差し引く前の成果であり、分母の投下資本は有利子負債を含む。借入を増やしても、分子と分母の双方が同じ論理で動くため、比率は機械的には変わらない。

ROEは違う。借入で自社株式を取得すれば、分母が縮んでROEは上がる。事業は何も変わっていない。ROICは、この操作に反応しない。この二点により、ROICは事業ポートフォリオの管理に適した指標になる。どの事業がスプレッドを生み、どの事業が食い潰しているか。資本再配分能力は、企業再定義能力の六能力の一つである。ROICは、その能力を支える有力な道具である。

4.4 ツリーの構造が持つ、静かな偏り

ただし、ROICツリーには構造的な偏りがある。

ツリーは、分母を「減らせる変数」として現場に見せる。在庫日数、回収日数、設備の保有量。いずれも減らす方向に目標が設定される。

一方、分母を「増やすべき変数」として見せる枝は、ツリーのどこにもない。新しい能力への投資は、ツリーの上では分母の増加としてしか現れない。すなわち、指標を悪化させる要因としてしか現れない。

現場は、指標が示す方向へ動く。ツリーが減らす方向しか示していないなら、組織全体が減らす方向へ動く。これは運用の失敗ではない。指標の構造がそうさせている。

5 実像 — 分母が語らないもの

5.1 投下資本に含まれない資本

Future Value Theory は、企業が持つ資本を八つの形態で捉える。Future Capital = Financial × Human × Learning × Trust × AI × Knowledge ×Ecosystem × Purpose ROICの分母が捉えているのは、このうち Financial の一部である。しかも、取得原価を基礎に記録された部分だけである。

残る七つは、原則として投下資本に数えられない。研究への支出、人材の育成、ブランドの構築、信頼の蓄積、エコシステムへの参加。これらは発生した期の費用として処理され、資産にならない。資産にならないものは、投下資本にも入らない。

そして、この式は掛け算である。足し算ではない。どれか一つがゼロになれば、全体がゼロになる。

したがって、投下資本が小さいことは、未来資本が小さいことを意味しない。逆も同じである。ROICの分母と、企業が実際に持つ資本のあいだには、制度が引いた線が横たわっている。

5.2 未来へ投資するほど、ROICが下がるという逆説

ここから、ROICの最も重要な限界が導かれる。

架空の数値例で示す。ある事業の営業利益が100、実効税率が30%、投下資本が1,000であるとする。NOPATは70となり、ROICは7.0%になる。WACCが同じく7.0%であれば、スプレッドはゼロである。

翌期、この事業が新しい技術の研究に30を投じたとする。全額が費用として処理される。営業利益は70、NOPATは49になる。投下資本は1,000のまま変わらない。ROICは4.9%へ下がる。

スプレッドは、ゼロからマイナス2.1ポイントへ転じる。経済的付加価値は、ゼロからマイナス21になる。指標のうえでは、この事業は価値を毀損したことになる。

しかし、実際に起きたことは何か。この事業は、未来の能力を得るために資本を投じた。投じたのは事実であり、それは投資である。ただ、会計がそれを投資として記録しないだけである。

分子は減り、分母は増えない。この非対称が、逆説を生む。未来へ投資する企業ほど、短期的にROICが下がる。

さらに厄介なのは、投資が資産計上される場合である。設備や買収であれば分母に載る。すると分母が増え、成果が出るまでの数年は分子が伴わない。この場合もROICは下がる。

費用処理されれば分子が減る。資産計上されれば分母が増える。どちらに転んでも、未来への投資は当期のROICを押し下げる。

5.3 圧縮によるROIC改善は、何を意味するか

逆の方向も見る。同じ架空の数値例を使う。

この事業が研究を行わず、代わりに在庫と設備を200圧縮したとする。営業利益は100のまま、NOPATは70のまま。投下資本は800になる。ROICは8.75%へ上がる。

スプレッドはプラス1.75ポイント、経済的付加価値は14になる。指標のうえでは、この事業は価値を創造したことになる。

たしかに、使われていない資本を抱え続けることは経営の失敗である。圧縮そのものを否定してはならない。第一原理の第三項が述べるとおりである。Capital Exists to Create Possibility. 資本は可能性を創るために存在する。可能性へ向かわない資本は、放置されるべきではない。

問うべきは、その次である。圧縮された200は、どこへ行ったのか。新しい可能性へ再配分されたなら、それは価値創造である。ただ抜き出されただけなら、企業は小さくなっただけである。

ROICは、この違いを表示しない。二つの場合で、比率はまったく同じ値を示す。

そして圧縮は有限である。二度、三度と繰り返せば、削るものはなくなる。そのとき、指標を改善する手段は分子しか残らない。分子を上げる能力は、削っていた数年のあいだに育っていない。

5.4 同じROICの、違う二つの事業

ここまでを重ねると、経営が直面する構図が見える。

指標がまったく同じ二つの事業がある。一方は未来への投資を止めて分母を絞った。他方は投資を続けながら、なんとか同じ水準を保っている。資料の上では、同じ評価を受ける。資本の再配分を議論する場では、同じ扱いを受ける。しかし五年後、二つの事業は同じではない。

この構図は、第I巻001で述べた「同じ数字の、違う二社」と同型である。財務指標は、現在の状態を精密に記述する。しかし、その状態がどこへ向かっているかは記述しない。

5.5 スプレッドの符号は、どこまで信じられるか

もう一つ、計測の問題に触れておく。

投下資本は簿価である。取得から時間が経った資産ほど、償却が進み、簿価は小さくなる。すると分母が縮み、ROICは高く出る。設備を長く使い続けた事業ほど、指標のうえでは資本効率が良く見える。

過去に大きな減損を計上した事業も同じである。分母が削られた分だけ、その後のROICは高く出る。

逆に、直前に大型の投資を行った事業は、分母が厚いためROICが低く出る。事業の実力ではなく、投資の時期がそう見せている。

したがって、事業間のROICの絶対水準を並べて優劣を論じることには、慎重であるべきである。比較が意味を持つのは、資産の年齢と投資の周期が近い事業のあいだに限られる。

スプレッドが大きく正、あるいは大きく負であるときの符号は信頼できる。ゼロ近傍での符号は、計測の誤差と区別がつかない。

6 経営者への問い

ここまでを一行にまとめる。

ROICは、会計が把握した資本の収益率である。だから、会計に把握されない未来への投資は、この指標のうえでは常に損失として現れる。

では、ROICを捨てるべきなのか。そうではない。ROICは、事業の資本効率を事業単位で語れる、数少ない優れた指標である。捨てるのではなく、限界を知ったうえで、限界を補う設計を加えればよい。

補い方は三つある。

第一に、既存事業と探索事業でROIC基準を分ける。

すでに市場が存在し、回収の見通しが立つ事業には、WACCを上回る水準を求める。まだ市場が存在せず、能力の獲得そのものが目的である事業には、ROICを課さない。代わりに、学習の進度や検証すべき仮説の消化で評価する。同じ物差しを全社へ一律に配ることが、最も多くの未来を殺す。

第二に、投下資本の定義に未来投資を含めた内部管理指標を併用する。研究、人材育成、ブランド、データ整備への支出を、管理上は資本として累計する。分子の営業利益にも、その期の支出を戻し入れる。こうして算出した数字は、会計基準に照らせば正しくない。外部への開示にも使えない。しかし内部の意思決定には使える。会計は分けないが、経営は分けられる。この考え方は第VII巻 064で述べた規律の延長線上にある。第三に、時間軸を分ける。 ROICを単年で評価することをやめ、投資の回収周期に合わせた期間で評価する。単年のROICは、その年に何が起きたかを語るだけである。事業の実力を語るのは、周期をまたいだ推移である。単年の低下を叱責する経営は、投資そのものを消す。

三つに共通するのは、指標を変えるのではなく、指標の使い方を設計するという発想である。

最後に、三つの問いを置く。抽象的な問いではない。次の経営会議で答えを出せる問いである。

問い1 — 自社の主要事業のROICを、利益率と回転率へ分解したことがあるか。

低いのはどちらか。利益率が低いなら、それは価値提供そのものの問題である。回転率が低いなら、それは資本の使い方の問題である。前者には事業の再定義が要る。後者には運営の設計が要る。分解しないまま「ROICを上げよ」と言うことは、症状を見ずに処方を書くことに等しい。

問い2 — 直近三年で、ROICを改善させた要因は、分子か分母か。分母であったなら、次にもう一度同じ手が使えるかを問う。使えないなら、改善は一度限りのものだった。分子であったなら、その要因が持続するかを問う。持続しないなら、それも一度限りである。指標の改善には、繰り返せるものと繰り返せないものがある。区別せずに実績として語ることは、自らを欺くことである。

問い3 — ROICを一時的に下げてでも実行すべき投資を、いま挙げられるか。

挙げられないのであれば、二つの可能性がある。本当に投資すべき対象がないか、あるいは指標が投資の芽を先に摘んでいるか。ほとんどの場合、後者である。この問いに答えられる組織だけが、指標を使いこなしていると言える。

ROICは有用な指標である。私たちはそれを否定しない。資本の効率から目を背ける経営は、預かった資本に対する責任を果たしていない。

しかし、有用さとは限定の別名である。ある範囲を精密に測る道具は、その範囲の外を測らない。

Value = Purpose × Trust × Capability × Timeこの式のどの項も、投下資本には計上されない。Purposeに価格はない。Trust に取得原価はない。Capability は費用として処理される。Timeは、そもそも貸借対照表に載る種類のものではない。

にもかかわらず、この式のすべての項が、いずれNOPATに現れる。現れるのは数年後である。指標は、その数年を待たない。

だから、私たちが管理すべきは比率そのものではない。比率を生み出し続ける能力である。第一原理の第二項が述べるとおりである。Future Value Precedes Enterprise Value. 企業価値の前に、未来価値がある。ROICは、資本が過去に何を生んだかを語る。何を生むかを決めるのは、経営である。

本章のまとめ

  • ROICは、会計が把握できた資本が、把握できた成果をどれだけ生んだかの比率である。
  • WACCとの差が価値創造の境界線になる。ただし簿価と市場の期待を引き算している。
  • 会計に把握されない未来への投資は、この指標のうえでは常に損失として現れてしまう。
  • 捨てるのではなく使い方を設計する。基準を分け、時間軸を分け、内部指標を併用する。

重要概念

Financial Future Value(財務価値)/Enterprise Value(未来価値)/Future Allocation Value(企業価値)/ Capital(未来資本)/Capital

関連概念

Capital → Capability → Future Value → Enterprise Value → Financial Value

関連する第一原理

Principle 2 — Future Value Precedes Enterprise Value. Principle 3— Capital Exists to Create Possibility. Principle 10 — Future Value Is the Highest Purpose of Enterprise.

関連する章

  • 第VII巻 065「PBRとは?」— 同じ構造を株主の側から見た残余利益モデル
  • 第VII巻 064「利益だけでは企業価値を説明できない理由」— 会計が未来投資を分けない理由
  • 第VI巻 056「投資を再定義するとは?」— 投資基準そのものを組み替える作法
  • 第VII巻 069「イノベーションは企業価値になるのか?」— 研究開発が指標を押し下げる構造

関連論文・既刊

  • Kadowaki, N. (2026). Future Value Theory: A Management Framework for Enterprise, Capital, and Society in the Age of AI. VURA Working Paper. SSRN: https://ssrn.com/abstract=7120980 / Zenodo: https://doi.org/10.5281/zenodo.21255662
  • 『AI時代の経営100の問い』#061「AI投資の回収が見えない、本当の理由」/#062「AI時代に伸びる会社は、見ている数字が違う」

次に読むべき章

→ 第VII巻 067「ブランド価値とは?」

第VII巻 企業価値の測り方

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